まず宿を出て、平庭高原ビールの製造直売所に向かう。今日は洞ではなく、八幡平のスキー場の上にある、旧松尾鉱山の廃墟になった住宅と学校を見に行く。終戦直後に開発されて、昭和47年まで使われていた、ひとつのそれなりに大きな町だ。木造の一軒家も多数あったそうだが、消防の訓練のために火をつけて燃やしてしまったらしく、真ん中がぽっかり空いている。コンクリートの建造物だけが風化しつつも残っている。まずは独身寮を見る。部屋に木が生えている。↓
↓コンクリートが解けて模様に
↓皆のかんじき&スノーシュー。装着して次は家族用のアパートに
これまた雪深い所をかんじきを装着して歩く。 昨日よりは歩きやすい雪質だが、草木の上に積もった雪なので、所々でズボッと足をとられる。
このアパートは一号棟など番号ではなく、棟名がいろはで表され、「へ」棟もある。住みたくない... 一つの階段に4部屋という*1変わった構成。
↓階段に穴が
↓水洗トイレが珍しかった頃なのでこんな注意書きが
廊下で軽食をとり、屋上に出たり、学校の2階建て体育館を見たり。ある意味昭和近代史を感じられた旅だった。
盛岡では名物、じゃじゃ麺を食べ、新幹線へ。
充実した三日間だった。同行の皆さん、特にTelavivさんありがとうございました。
*1:その後建てられた都営アパートなどとは違った